大町まつりについて
鎌倉大町まつりは、京都の祇園祭、福岡の博多祇園山笠、福島の会津田島祇園祭、長野の深見祇園祭に並ぶ祇園祭として、鎌倉に九百年伝わる大祭式例祭です。 祭は、毎年7月7日から14日の間の土曜から三日間行われます。 土曜日は、午前に例大祭、午後に神幸祭、そして夕刻に神輿ぶりが行われます。 翌日曜日は、夕刻八雲神社境内にて神賑として演芸大富くじ大会が開催されます。 終日の月曜日には、夕刻八雲神社境内にて盆踊りを行った後、還幸祭を行います。 奉舁する者も、拝観する人も「悪疫退散招福繁昌」が約束されると古くから語り伝えられています。
例大祭に先立ち、早朝氏子総代により由比ヶ浜辺において禊(みそぎ)をします。浄めのしるしとして藻塩草(海草)を持ち帰り、社頭に掲げます。 鶴岡八幡宮より幣帛(へいはく)を奉る献幣使(けんぺいし)を迎え、宮司以下神職、八乙女(やおとめ)が奉仕し、大勢の参列者を迎えて、朝9時より厳かに本殿で執り行われます。 例大祭が行われたのち御祭神を神輿にお迎えし、神幸に備えます。
お神輿には、祭事中神様をお迎えします。お渡り(神幸祭)は、そのお神輿にお乗りいただいた神様が、大町町内各地に出向いていただく儀式です。
行列の先頭には、先達、お囃子・触れ太鼓がつきます。高張提灯のあとに、猿田彦・宮司様・諸役・賽銭箱・お神輿と続きます。お賽銭を投げ入れ、身を清めるお払いを受けてからお神輿に乗られた神様を拝みましょう。
お渡りでは、奉舁(ほうよ・お神輿を担ぐこと)する者の衣装は白丁烏帽子姿で、氏子の男性のみです。
お渡りの途中で、満1歳未満のお子様を抱いてお神輿の下をくぐるとそのお子様は健やかに育つという習わしがあります。
「おくぐり」をご希望の方は、神幸中にみこし会の責任者(橙の鉢巻をしています)にお気軽にお声がけください。
関ケ原の合戦の6年前に柳生石舟斎(新陰流の創始者)と息子、柳生宗矩は徳川家康に新陰流を披露しました。
武術は敵を殺す為の物ですが、その時に石舟斎は武具を使わずに相手を制して、家康に人を活かす為の剣(活人剣)を説きました。
感心した家康はその場で宗短を召し抱えて、家康自身が新陰流を習う事としました。
(江戸時代以前の武術は戦う方法だけでなく武士の生き方や心構えなど多くの事を教えていました。現在の大学の教育課程に似ています。たぶん家康は哲学的な事を中心に習ったと思います。)
その後新陰流(活人剣)は代々の将軍をはじめ全国の大名にも広まり江戸時代の長い平和の時代が続く助けとなりました。
一方、心眼流は宗矩の子供柳生十兵衛三厳が流祖です。徳川幕府が下級武士の武術に定めた事で、多くの藩で稽古された様です。
下級武士(今の将校)は合戦となれば敵を攻撃して討ち取る事や自分を犠牲にする事などが要求されました、従い殺人剣の厳しい稽古をして心身を鍛えました。
また下級武士は足軽(兵士)の訓練も任務でした。この任務は江戸時代の平和な時代に対応して治安を担当する人たち(警察官)への指導に変化しました。
新陰流も心眼流も同じ柳生家の武術ですが、将軍や大名が学ぶ新陰流と下級武士が稽古する心眼流では内容が大きく異なります。
今までは心眼流(殺人剣)だけの奉納でしたが、今年は八雲神社のご縁で新陰流(活人剣)も奉納いたします。是非とも実物でその違いを見比べて頂きたいと思います。
武道奉納をご覧になって興味を持たれた方は、是非道場に見学にお越しください。
(連絡先 大舘 090-1604-5585)
一度境内に納められた四社の神輿は、揃いのはんてん姿に着替えた氏子達により、大町四ツ角付近で勇壮な神輿ぶりが披露されます。提灯に火を入れた四社の神輿が 横一列に揃う姿はとても美しく幻想的です。この奉舁の仕方は、日本全国でも類を見ず、大町まつりでのみご覧いただけるものです。
祭り二日目の夜に奉納される神賑(かみにぎわい)は、境内に用意した舞台を中心に演芸会や富くじ大会を開催します。神賑は氏子の皆様同士が交流し、神様と一つになり祭りを楽しむ行事の一つです。演芸会では鎌倉大町八雲みこし会の有志が、思考を凝らせた演目で盛り上げ、その後、大町商店街の協賛で多くの景品が用意される大富くじ大会が開催されます。
祭りの三日目の夜に奉納される神賑が「三ツ目」です。大町まつりの三ツ目は、氏子の皆さんで盆踊りを楽しみます。氏子以外の方もご参加いただけます。
神輿に滞在していた神様が八雲神社に還る神事。20時頃から本殿に収められた1番神輿を鎌倉大町八雲みこし会の担ぎ手により、境内に降ろし担ぎ廻ります。天王唄で盛り上げた後、21時頃から境内で厳かに「御神霊遷し(みたまうつし)」が行われ、神輿にのせられた御祭神が本殿に戻されます。
鎌倉囃子大町祇園会による「鎌倉囃子」の歴史は、鎌倉大町の地に800年を越えて伝承されている鎌倉郷土芸能です。源頼朝が鶴岡八幡宮を創建した際にも奉納されたと伝わり、鎌倉時代には武士が芸事として嗜んでいたとも言われる「鎌倉囃子」。祭では800年の時を経て伝わる名曲「鎌倉」や「昇殿」を中心に演じられます。